突然ですが、最近ふと疑問に思ってることがある。
それは
「競歩の存在意義が分からない」
ということ。
もし、人生をかけて競歩に臨んでいる人がこれをみたらもしかした、大変お怒りになるかもしれない。
それでも、僕には競歩の存在意義が分からない。
たまにふざけて競歩で出来るだけ急いでみたりする。
最初は、「お!意外と早く歩けるな!」と思うんだけど、ある段階から「でもこれ、絶対走った方がいい!!」という衝動にかられる。
そう、絶対普通に走った方が速い。
いわばみんなが同じハンデ戦をやってるようなものだ。
だったらみんなが全力で走った方が、いいんじゃないか。
だってその方が速いんだもん。
本当はもっと速く走れるのに、それを出来ないもどかしさ。
ハンデ戦ならみんなが同じ重さの重りを背負って走る、重量運びマラソンみたいなやつの方がまだ分かる。
だってそれは全力で走るんだもん。
なんかその、本当はもっと速く走れるのに、自分でセーブした状態でいかに速く歩くか。
というのがしっくりこない。
競歩の選手からしたら失礼極まりないだろうが、本当に疑問。
世界一の競歩ランナーになれるよ!
って言われても多分やらない。
競歩に人生をかけてる人は、何をもって競歩に、充実感を見出しているのか。
謎は尽きない。
本当に失礼だと思うけど、怒らずに誰か教えて。
レイ
0 件のコメント:
コメントを投稿